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<title>須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)</title>
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<description>この感じを何と言えばいいか分からないけど、人はやっぱり人が好きで、しかたないのだろうという感じがする。

須賀敦子さんはたぶん、いわゆるバイタリティあふれる吸引力のある女性ではないのだろう。
しっか...</description>
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この感じを何と言えばいいか分からないけど、人はやっぱり人が好きで、しかたないのだろうという感じがする。

須賀敦子さんはたぶん、いわゆるバイタリティあふれる吸引力のある女性ではないのだろう。
しっかり、常に誠実で、表面だけじゃなくしっかり人の話に耳を傾け、真摯に素直に人に対面する人だ。
でなければ、こんなエッセイは書けるはずがない。おとなしげだけど、ものすごく誠実で愛に溢れた人、なかなかいそうでいない。

イタリアの希有な人々との希有な蜜月の物語だが、須賀さんという人間も相当希有だ。
自分の人生に迷ったら、思い出すことが誰にでもあるだろうけど、私はこのエッセイとその著者を思い出すだろう。須賀敦子の文章は癖になる。たまたま「本に読まれて」を手に取る機会があって、その文章の美しさに惚れ込んでしまった。その文業が、すでに文庫版全集になっているとは……。
デビュー作「ミラノ 霧の風景」と第二作「コルシア書店の仲間たち」が1冊になって、単行本未収録の「旅のあいまに」も入っていて、お買い得。
これから須賀敦子を買って読もうという人は、当然、この本から手にすべきです。

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<title>日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)</title>
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<description>題名の通り、日本の仏教史の本。

本書では、日本の仏教と他国の仏教の違いや、日本仏教の歴史的経緯や思想の変遷などについて書かれている。しかし、何故、日本の仏教が他国と異なるものになったのかは、書かれ...</description>
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題名の通り、日本の仏教史の本。

本書では、日本の仏教と他国の仏教の違いや、日本仏教の歴史的経緯や思想の変遷などについて書かれている。しかし、何故、日本の仏教が他国と異なるものになったのかは、書かれていない。読者に考える事を要求しているように思う。

日本に仏教が定着したというが、定着の中身は一体何だったのかという問いかけは考えさせられるものがあった。文庫本にしては珍しい仏教史の本です。書き方は、かなり学術的な書き方で、まじめに学究的に書き込まれています。作者の個性というよりは、学問的な書き方になっています。仏教が日本に入り、定着していくにあたって、政治や日本の文化、習俗にどのように受容され、変質を受けたかを知ることで、日本の思想史を見ようとしていて、ユニークな本だと思います。本文の下には、脚注など豊富に載せられています。政治との関係、神道との関係も詳しいです。日本仏教の成り立ちについて、よくわかる入門書になっていると思います。仏教に興味のある人もない人も日本を理解するのに良い本だと思います。硬い本ではありますが、面白い本でした。教養として読む必要のある本だと思います。私は仏教について葬式仏教程度しか知らない。
また日本史についても高校時代に習った程度の知識しかない。
この本はそういう私にもわかりやすく、インド、中国、日本への仏教の伝播とその変容を、飛鳥時代から江戸時代にかけてダイナミックに描いている。
日本の仏教諸宗派がどのような考え方の対立から誕生したのか、その歴史的背景は何か、神と仏の関係はどのように形成されたか、を語ってくれる。
日本人の古くからの考え方の基盤の上に、仏教が導入されたゆえに生ずる様々な派生的要素が現在の日本の仏教界を形成しているようだ。
仏教史であるとともに現在の仏教界を批判しているように感じられる貴重な本。この本の素晴らしいところは、仏教の原点であるインドを常に参照し、これとの比較で日本仏教の特質を浮かび上がらせているところだ。インドの原典に当たって比較検討する、じつはこれは非常に大変なことなのである。
たとえば、「インドでは草木成仏（生きとし生けるもののすべてが仏になれる意）はほとんど問題にもならなかった」とは、日本仏教の本質理解に不可欠だが、これは膨大なインド原典渉猟の蓄積があって初めていえることなのである。このことからしても本書の価値がわかるだろう。特質というものは比較することによって初めて浮かび上がるものであることを改めて思わされる。日本のみを語る日本文化論は独善に陥るということも。
何事においてもそうだが、とくに文化を語るとき、比較の視点は不可欠なのである。最近の出来事だが、インドでの礼拝作法を論拠とする説得力ある新説によって、本書でも紹介されている梅原法隆寺論が論破された（武澤秀一『法隆寺の謎を解く』ちくま新書）。これもインドを比較・参照することによって得られた成果であった。 この著者の作品は、「宗教」を扱っているが、グローバルスタンダードな「宗教」ではなく、日本という島国の中で培われた独自の「文化」「思想」を背景に考えようとしていると思える。だから、例えば西洋で研究してきた研究者が説明に窮する、カテゴライズされた「宗教」から外れた部分も「完全に理解できないまでも」「納得できる」。 
 基本に、日本人が「宗教」として意識していない、海から上る朝日に手を合わせるとか、川のせせらぎに神聖な存在を感じるという「感性」は一神教の世界では説明困難であろう。 
 同じ仏教でありながら、大乗、小乗の大まかな対立と別に、独自の発展を遂げた日本の仏教、その仏教だけにとどまらず、同時に「神道」もしくは「神様」を信じる精神構造を「８０％」くらい解決してくれる。 

 「神様仏様『稲尾様』」という言葉が違和感なく受け入れられた（いれる）日本の「宗教」事情を本当に分かりやすく示してくれる。


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<title>ヴェネツィアの宿 (文春文庫)</title>
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<description>著者の作品に触れるのは本書が始めてです。日本国内でのことだったり、海外でのことであったり…切なさとユーモア感が満載で夢中に読みました。修道院での生活も味のある修道女さんとの日々が繰り広げられていて自...</description>
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著者の作品に触れるのは本書が始めてです。日本国内でのことだったり、海外でのことであったり…切なさとユーモア感が満載で夢中に読みました。修道院での生活も味のある修道女さんとの日々が繰り広げられていて自分には新鮮でした。外国語にも堪能な著者の姿にも憧れます。著者の夫を大切に思う気持にも見逃せないものを感じました。 寄宿舎生活を送ったカトリック学校時代のこと。フランスのパリに留学した時のこと。日本に戻ってしばらく働いた後、今度はイタリアのローマに留学した時のこと。イタリアの男性と結婚し、ミラノで暮らしていた時のこと。日本に帰った後、久しぶりにイタリアを訪れた時のこと。著者・須賀敦子（すが あつこ）が歩いてきた道のそうした折々、なつかしい店の中を覗くように差し挟まれる父と母の思い出。文章にきらめく光と影が美しく、ふっくらとした豊かさに満ちていて、著者が紡ぐ筆致に乗って、誘いこまれるように本の中を歩いて行きました。

 著者が案内して見せてくれる記憶の風景に、親しさとあたたかさとを感じながら頁をめくるうち、時折、はっと胸を衝かれる文章が目に飛び込んでくるのも印象的。
 ＜「ヨーロッパにいることで、きっとあなたのなかの日本は育ちつづけると思う。あなたが自分のカードをごまかしさえしなければ」＞ p.103
 ＜そのころ読んだ、サン＝テグジュペリの文章が私を揺りうごかした。「自分がカテドラルを建てる人間にならなければ、意味がない。できあがったカテドラルのなかに、ぬくぬくと自分の席を得ようとする人間になってはだめだ」＞ p.146 ※この言葉の出自については、巻末の「解説」のなかで触れられています。
 ＜しかし、なによりも、自分だけの人生をもとめて故国をはなれ、一歩一歩手さぐりしながら歩いている彼女に、私は深い共感をおぼえた。＞ p.210
 ＜「ミラノなんて、おまえは、遠いところにばかり、ひとりで行ってしまう」＞ p.248

 「ヴェネツィアの宿」「夏のおわり」「寄宿学校」「カラが咲く庭」「半のうた声」「大聖堂まで」「レーニ街の家」「白い方丈」「カティアが歩いた道」「旅のむこう」「アスフォデロの野をわたって」「オリエント・エクスプレス」の十二のエッセイに吹き通う清やかな風の香り、凛としてしなやかな精神の深み。素敵だなあ。

 フェニーチェ劇場の広場に面したホテルに泊まった一夜、走馬燈が流れるように古い記憶がめぐる「ヴェネツィアの宿」、夢幻のような前半の数頁の美しさ。次の学生寮に移るまでの時間を、ひとり、ローマ終着駅でつぶす“私”の心細さにしんみりさせられた「カラが咲く庭」の一場面。京都の竹野夫人という人から届いた手紙が、異様な体験へと著者を巻き込む「白い方丈」の恐さ。特急列車“フライイング・スコッツマン”に乗って、スコットランドのエディンバラへの旅と、国際列車“オリエント・エクスプレス”にまつわる父の思い出が交錯する「オリエント・エクスプレス」。そして、本書の最後に置かれたその文章がぐるりとひとまわりして、最初の収録エッセイ「ヴェネツィアの宿」へと帰っていくところ。とりわけ忘れがたく、印象に残った文章と名場面です。

 ロンバルディア、カラブリア、プリアといったイタリアの地方名はじめ、ヨーロッパの都市の名前が結構出てきます。私は、アトラスの世界地図帳を引きながら、本書を読んでいきました。おかげで、イタリアの地理に少しだけ明るくなったかもしれない。そういえばイタリアの国って、人間の脚みたいな、靴みたいな形をしていますね。本書の中で実によく歩く人という印象を持った著者と、何か響き合うものがあるなあと、ふっと今、そんな気がしたのですが。

 本書の巻末、「彼女の、意志的なあの靴音」と題する関川夏央の文章もいいですねぇ。＜友情をもとめながらも孤独を恐れない＞＜温厚な表情の裏側にひそむ強いなにものか＞を持った須賀敦子の人となりを伝えてくれる文章の、格調高く、きりりとしていること。この見事な解説文にも、ため息が出ました。イタリアと日本の文化比較。
昭和の女性文化。
ヨーロッパ各国の文化比較。

なにげない日常を描いたエッセイですが、
上質の文化論に感じます。

須賀さんの文書の持つ雰囲気が
とても良いです。なんとなく読み流していると気づかないのだけれど、叙述されている内容はとても重い。
エッセイのようでもあり、小説のようでもある。
少女時代の寄宿舎の謹厳なエピソード、家庭内の問題児の父親、社会的には恵まれた成功者だがよくいる懲りない女好き。
潔癖で真面目な著者は、愛情と同時にかすかな侮蔑や嫌悪感を漂わせながらもそれをも含んで父親を愛した、愛せたのは、カトリックという宗教の魔力だったのかもしれない。
そんな彼女がはるばると旅する地が、西欧、それもフランスやイタリアであったのは必然でもあったろう。
が、彼女がその地で出合い、戸惑い、葛藤し、受容しようとしたのは、西欧、特にローマカトリック的な緻密な論理の世界であった。それはゴシック建築の如き頑強で融通の利かない、隙間なく積み重ねられたごつごつとした石組みであり、聖堂の内陣では宇宙と自己とを対峙させ、一歩も道を譲ろうとしない苛烈な知的構築物であったことが、文章の端々からくみ取れる。
その西欧との対峙を通して、彼女が出会うのは、女性が如何に社会の中で自立して生きていくかという人生を通しての問いであった。

ただ、あまりに真面目というか、遊びの少ない文章に息苦しさを感じたのは、懲りない不真面目なおっさんである不肖わたくしのせい故であるが。

今、社会の中でポツンと苦境に立ち尽くす女性に読んで欲しい。「歩く」ということが印象に残った短篇集。ヴェネツィア、イタリア、神戸。そしてシャルトル巡礼。

最後に収められた二つの作品が、とりわけ素晴らしい。『アスフォデロの野をわたって』と『オリエント・エクスプレス』。静謐と哀しみ。誰にも止めることができない、時というものの流れ。

全篇を通じての優美な文章は、まさに珠玉。

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<title>霧のむこうに住みたい</title>
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<description>イタリア旅行を終え、夢から覚めたような気分の時、この本を見つけた。
「なんて素敵なタトルと美しい白くけぶった表紙だろう！」それだけで購入を決めた。
これが私と須賀敦子氏の作品との出会い。
文章も、淡...</description>
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<![CDATA[
イタリア旅行を終え、夢から覚めたような気分の時、この本を見つけた。
「なんて素敵なタトルと美しい白くけぶった表紙だろう！」それだけで購入を決めた。
これが私と須賀敦子氏の作品との出会い。
文章も、淡々として気に入った。
私は彼女の事は何も知らないけれど、須賀氏の文章を通して、霧の中のイタリア、その暗さ、人の在り方、などを「肌で感じ」られた気がする。
心が落ち込んだとき、この本を読むと、何か疲れた心にそっと寄り添ってくれ、読み終わった時に、すっと背筋を伸ばせるような、そんな一冊だ。

このひとの随筆を読んでいると、心の波がしずまる。 
読みながら顔を上げると、見なれた風景も、粒子がこまかくなったように感じられる。 

「霧のむこうに住みたい」は、この本が刊行された２００３年当時、単行本に収録されていなかった文章を集めた随筆集。解説は江國香織。 
こんなにすばらしい、宝物のような作品たちを、とりこぼされすことなく、きちんとすくい上げてくださってありがとうございます、と編集者の方にお礼を言いたくなるような一冊だ。 

たとえば「白い本棚」と題された、三ページあまりの短い文章。 
「本ばかりのその部屋に白木のままの本棚があった。」ではじまる第一段落と、 
「夫が死んで二年ほど経ち、」とつづけられる第二段落。 
そのあいだ、ほんの数ミリの行間にどれほどの思いがあるか、須賀さんはいっさい語らない。 
語らないために、読者であるわたしたちの胸はいっそうざわめく。 
本棚を半分こしてよろこんだ数カ月後、若い夫が突然亡くなってから、ああ本棚を白く塗ろうと思いたつまでの長い時間、その心の動きに思いをはせずにはいられない。 
この本で初めて須賀敦子に出会ったが、その洗練された文章に圧倒された。 

彼女の文章には無駄がない。誇張や、大げさな表現や、感情表現といったものが、限りなく削げ落されている。装飾が全くといっていいほどないが、とても贅沢な文章だという印象を受ける。 

これは主にイタリアで書かれたエッセイだが、何でもない日常が、実に上質な文章で綴られている。私は特に、悪魔のジージョの話が印象に残っている。 

本好きを自称する人間として、須賀敦子に出会えて本当に良かったと思う。 

ほかの作品同様、言葉を追いかけるやすぐに日常生活を脱し、著者の世界にとらわれてしまう。ても心地よく、上質の音楽を聴いているようだ。しばらくもとに戻りたくなくなる。友人や知人、親戚との出会いや別れなど、誰もが経験するであろう普通の事柄が著者の手にかかるととたんに輝きだすから不思議だ。イタリアに行ったことがないのに、一緒にイタリアの街を歩き、知る由もない人々のことを知ったかのような気持ちになる。著者と一緒に街を行き来し、時間を行ったり来たりしながら、いつのまにか悲しみすら乗り越え、この世を生きることはそんなに悪くないと思えてくる。
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<item rdf:about="http://83-book.bestbook-search.com/detail/05/4309420524.html">
<title>須賀敦子全集 第2巻 (河出文庫)</title>
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<description>同じ会社の女性が面白いですよと置いていったのがきっかけだが
どんどん引き込まれてしまった。
何だか繊細な文章にびりびりしながら読んでいるところです。
久しぶりに全部読みたいと思う全集が現れました。
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同じ会社の女性が面白いですよと置いていったのがきっかけだが
どんどん引き込まれてしまった。
何だか繊細な文章にびりびりしながら読んでいるところです。
久しぶりに全部読みたいと思う全集が現れました。
うれしいです。今のところもの悲しくてなんだか今のおいらにぴったりです。
時間があればページを繰りながら楽しんでいます。
こんな女性がいるんですね。
注文した全集の１も早く読みたい。
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<item rdf:about="http://83-book.bestbook-search.com/detail/06/4101392226.html">
<title>地図のない道 (新潮文庫)</title>
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<description>イタリアに住んでいた著者が、
普通の観光客や、もしかしてイタリア人でも
気がつくことのない地名や道の名前の
由来を調べている本です。

読んだ後に改めてタイトルを
見てみると「地図にない道」ではなか...</description>
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<![CDATA[
イタリアに住んでいた著者が、
普通の観光客や、もしかしてイタリア人でも
気がつくことのない地名や道の名前の
由来を調べている本です。

読んだ後に改めてタイトルを
見てみると「地図にない道」ではなかったかと
思ったが「地図のない道」であった。

改めて自分の読みの浅さと
須賀さんが本当に書きたかったことが
ご自身の半生も含んでいたのだと
気がついたのでした。

それにしても文章が美しいです。「地図のない道」その一からその三、そして「ザッテレの河岸で」と、水の都ヴェネツィアをめぐる四つの文章が収められている。 

たとえば、夫の死や家族の病気を経験した著者が、「道を歩いていても景色が目に入らず、意志だけに支えられて、からだを固くして日々を送っていた」時期におとずれたトルチェッロ島。 
ヴェネツィアやリド島のかわいた盛夏を通りぬけてたどり着いた古い教会で、著者は聖母子のモザイク画に出会う。 
神秘的な静謐にみちているだけでなく、（わたしの読み落としでなければ）ほかの作品ではあまり書かれることのない、著者自身の信仰をかいま見ることのできる美しい文章だ。 

「ザッテレの河岸で」は、コルティジャーネとよばれた高級娼婦たちをめぐる、やや長めの随想。 
小説的な文体で、テーマの核心にむけ著者が一歩ずつ近づいてゆくさまが描かれる。 

「Rio degli incurabili（なおる見込みのない人たちの水路）」というふしぎな文字に著者が目をとめるところから、随想は書き起こされる。 
その場所にはむかし、なおる見込みのない病気、つまり梅毒にかかった娼婦たちを収容するための病院があったのだ。 
紆余曲折を経て、著者はその病院が形を変え、今もヴェネツィアに存在することを知る。 
それらしき建物を探し当て、高い塀の周りを歩き回るが、入口がどうしても見つからない。 
とうとうあきらめた著者はザッテレの河岸に出て、ある風景を目にする―

 ＊ 

運河と細い路地が入り組んだせせこましい町並みを抜け、河岸に出たときの、ふいに視界がひらけ、同時に心が世界にむけて広がっていく感じ。 
そのすがすがしさを、著者は完璧な文体で読む者に伝えてくれる。 
これから先、わたしはこのラストシーンを思い出すたびに、できることなら須賀敦子さんの書く小説、あるいは宗教観により深くふれることのできる文章を読みたかった、と身勝手な願いに胸を焦がすことをとめられないだろう。 
  ユダヤ人ゲット、トルチェッロのモザイクの聖母像、＜治療の見込みのない病人＞、コルティジャーネ(高級娼婦)、レデントーレ…。 在りし日の友人たちの思い出に導かれながら須賀敦子が描き出したヴェネツィアは、一般的なガイドブックが伝えるヴェネツィアとは、だいぶ趣を異にする。彼女のヴェネツィアを一言でいえば「深い悲しみと慰めの場所」。じつは、彼女が人生の一番辛い一時期をどうすることもできずに無為に過ごした場所が、ヴェネツィアであった。ここに表象されたヴェネツィアは、彼女自身の心象風景でもある。 今年になって須賀敦子さんの本を続けて読み始めたのだが、文章が本当にこちらの心にしみてくる。かなりひらがの多い文章だが、心のままを誠実に書いているのがこちらに伝わってくる。最近はイタリアというとパスタやグッチなどのブランドもばかりに関心が行きがちだが、須賀さんはイタリアの中でもいわゆる負け組（私はこの言葉大嫌いなのだが）の人たち、貧しい人やユダヤ人などに目を向ける。特にこの本ではローマやヴェネチアのユダヤ人と娼婦について語っている。そこらのイタリア本とは一線を画す、すばらしい本です。
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<item rdf:about="http://83-book.bestbook-search.com/detail/07/4560073570.html">
<title>ミラノ霧の風景―須賀敦子コレクション (白水Uブックス―エッセイの小径)</title>
<link>http://83-book.bestbook-search.com/detail/07/4560073570.html</link>
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<description>イタリアの情景が目に浮かび、
そのときの著者の感情が伝わってくる。

文章の美しさに惹かれて、
同じ時間を過ごしてみたかったと
憧れのような感情を抱いてしまう。

次の世代に残せる本を何冊か選ぶとし...</description>
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<![CDATA[
イタリアの情景が目に浮かび、
そのときの著者の感情が伝わってくる。

文章の美しさに惹かれて、
同じ時間を過ごしてみたかったと
憧れのような感情を抱いてしまう。

次の世代に残せる本を何冊か選ぶとしたら、
必ず選びたいと感じさせるほど
心に残る１冊です。毎日新聞の２００８年秋の読書週間の特集で、福岡伸一さんが良いと言っているのを読んで買ってみた。ほとんどの日本人にとって、ヨーロッパがはるか彼方のあこがれの地であった１９５０年代後半から１９７０年代くらいにかけての、著者のイタリアでの体験が静かに語られている。数メートル先が見えないほど濃い霧が出るミラノ、菩提樹の花の香りが部屋の中まで立ち込めるペル−ジャ、冬には海から突風が吹きつける詩人サバを生んだ海辺の町トリエステ、町全体が劇場と化してしまったヴェネチア。気負うことがない静かな文章で、著者の鋭い感性を通して、それらの町とそこに住む人々の日常が、淡々と回顧的に描かれていく。著者が街角で遭った小さなエピソード、親しい友人との集まりでの会話。わずか４０年か５０年しか経っていないのに、この本がなければ、誰にも知られることがなく過去の中に遠ざかっていっただろう。なんでこんなにも、それが心に残るのか。須賀さんのヨーロッパ全般（それこそ歴史も、またその経緯を含んだ文化）を紹介するというより、その場で生活してきた者として、その上20年近く以前の過去を振り返るというスタイルを貫き通す事で、温かみがあり、生活者の視点で描写された文章が素晴らしかったです。どこかハイカラなおばさんを連想させる文章です。と、同時に全てをあえて説明しない事から突き放した感じがまた、同性の方々には魅力的なのではないでしょうか？その事から（これは少し突き放した感じと、またいわゆるインテリ的なものを、あるいは本当の上流階級を目の当たりにした事も影響があると思うのですが）自律した（自立じゃなく）女性の視点も感じさせます。

ただこの文体は誰も真似出来ない、『須賀さんの個人のモノ』という事が1番素晴らしい事です。

中でも「マリア・ボットーニの長い旅」は素晴らしい。初めて須賀氏の著作を読んだのが本書「ミラノ霧の風景」でした。まず氏の文章の美しさに惹かれ、過不足の無い描写に惹かれました。何より氏を軸に様々な人々とのふれあいが語られている事、それが既に失われてしまっている事を了解した上で私達は読み進んで行きます。青春の一こまを見事に切り取って過度にセンチメンタルにならずに見せてくれます。今でこそ留学・国際結婚などが珍しくなくなっていますが、私が生まれた昭和２９年当時に氏の様にパリに始まるヨーロッパへの留学から結婚を経て死別・帰国・母校等の大学で教鞭をとられた事に大変な驚きを禁じえません。氏が日本の社会やヨーロッパの社会とどう対峙し、どう切り結んで、どう折り合いを付けてきたのか。優れて戦後の個人史にとどまらず近代史をも描かれている事に感銘を受けます。本書以後は河出書房版の全集を一冊・一冊購入しては読み進みました。読者の私達はこの今、氏自身も既に亡くなっておられる事を知っています。氏の著作を読む時は二重の喪失の痛みを読み取ってしまう様に思います。これから留学する人は勿論、キャリァを積み重ねてゆこうとする人、人間の生きる意味を問う全ての人に読んで頂きたいと思います。人間が人間として在るとはどうゆう事なのか。優れた文学に共通の主題がここにあります。美しい。須賀敦子の作品で最も好きなのが、この「ミラノ、霧の風景」。タイトルからして素敵です。他に「ヴェネツィアの宿」も好きですが、文章と内容が最も緊密なのがこの作品だと思います。日本には日記文学という素晴らしい伝統がありますが、須賀さんの作品は間違いなく、その伝統を受け継ぎ、美しい花を咲かせてくれました。憧れ、郷愁、凛々しいサンティマンが須賀さんの文章を格調高くして、紡ぎ出される情景が、掛け替えのない時を刻み付けてくれる。本当にお勧めの一冊。ちなみに文庫「ヴェネツィアの宿」の関川夏生さんのあとがきも素晴らしい。
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<title>コルシア書店の仲間たち (文春文庫)</title>
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<description> NHK教育TVで、須賀敦子さんの生涯を紹介する番組が再放送されたこともあって(2009年10月18日)、本書をもう一度読み返してみた。須賀さんは1960年代の初期、縁あってミラノのコルシア・ディ・...</description>
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 NHK教育TVで、須賀敦子さんの生涯を紹介する番組が再放送されたこともあって(2009年10月18日)、本書をもう一度読み返してみた。須賀さんは1960年代の初期、縁あってミラノのコルシア・ディ・セルヴィ書店に出入するようになる。本書はの書店の仲間、出入する友人・知人を、時には優しく、時にはその不可思議な個性を好奇心をもって、その流麗な筆で描ききったエッセイである。既に多くの人々からの評価の高い名文に溢れている。
 本棚に置いておき、しばらく読んでおかなくても、久方ぶりに読み返してみると、時の経つのを忘れて読むのに熱中してしまうような本、そのような魅力に溢れた文章である。
 死後10年以上経った今も、いやこれから何年にもわたって彼女の著作は読みつづけられることになるだろう。
 単行本のほか、文春文庫、白水Uブックス、河出文庫といろいろあるのもいい。著者が暮らしたイタリアでの生活。

なにげない日常が著者の文章で、
格調高く魅力的な日常に感じる。

ふとした例え、さりげなく飾られた文章。
余韻が漂う美しい文章です。須賀さんの優美な文章でつづられた、十一の短篇。

それらは個々に完結した物語であるが、描かれた人々の結びつきが、全体として閉じた、おだやかな世界を見せてくれる。

この一冊は、ミラノでの青春への、明るく澄みわたった鎮魂歌である。著者が若い頃に移り住んだミラノの町にある小さな書店。夫となる人も含め、より良い社会の実現を目指し、理想に燃える仲間たちの姿を丁寧に描写している。年月を経て、夫から取り残され、やがては町の住人ではなくなっても度々イタリアを訪れ、かつての仲間や友人たちと短い時間を共にする作者が、様々なエピソードをつないでいく。時として時間軸や場所が交錯し、章の最後まで読むと、霧が突然晴れるように全体像が見渡せるようになる。パズルのかけらを一つ一つ集めて一つの風景を創作していくような、繊細かつ大胆な構成が見事である。口語のような印象を与える柔らかさを持ちながらも、深みのある文学的な気品を失わない言葉を、練りに練って贅肉を落とした簡潔な文章にまとめ、軽快なテンポを保っている。文学作品を翻訳するという作業に長年携わってきた中で鍛え上げられた職人技とセンスが素晴らしい。巷に氾濫するひたすら明るく陽気なイタリアを謳った本とは一線を画したうつくしいエッセイ。 イタリア事情や文化・言語についての著者の落ち着いた洞察と豊かな知識が窺え、安心して読めます。また、磨きぬかれた日本語が読んでいて心地よく、文章やことばのひとつひとつを選びに選んで丁寧に書かれているので心の奥まで情景が沁みとおり、気持ちが穏やかになります。 深くイタリアに取り憑かれている(?)友人、イタリアでの滞在を決心した友人などに是非読んでもらいたく、しばしば贈っている本です。
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<title>須賀敦子全集〈第3巻〉 (河出文庫)</title>
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<title>トリエステの坂道 (新潮文庫)</title>
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<description> 須賀さんの本を読むと、心がしんと静かになる。気が立っていても、焦っていても１ページ目を通すと、ざわめきが収まっている。 
 作品全体をおおうもの悲しい雰囲気。思い返される夫や近しい人々の死、微妙な...</description>
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 須賀さんの本を読むと、心がしんと静かになる。気が立っていても、焦っていても１ページ目を通すと、ざわめきが収まっている。 
 作品全体をおおうもの悲しい雰囲気。思い返される夫や近しい人々の死、微妙な距離感が埋まらないイタリアでの生活、そして変わっていく人々。愛おしくそっとつつむような須賀さんの文。 
 いいな、この人。言葉が染み込んでくる。何作も続けて読むとしんみりしてしまうけれど、ゆっくりと読んでいきたい。著者はミラノに縁あって根を下ろして生活し、カトリック左派の神父たちが中心になってできたコルシア書店の主要メンバーだったペッピーノさんと結婚。しかし夫は７年少しの幸せな日々の後に、病死した。

国際結婚というのは最近多いけれど、須賀さんの結婚は時代も時代だったが、須賀さんがいわゆる良家の子女であったのに対して、相手のペッピーノさんはイタリアの無産階級といえるような経済的に貧しい家庭環境に成長したという点で、複雑なものもあったようにも思われる。この「トリエステの坂道」においては、夫の家族（狭い意味の家族のみならず、義弟のお嫁さんのお父さんなども含む）がすばらしく生き生きした描写で再現されている。
須賀さんは本当にイタリアで地に足をつけて生活してらしたんだと思う。だから夫が亡くなってからも、イタリアの家族は家族であり続けたのだろうと思う。

作品に触れて感じた須賀さんのものの見方の、少なくても私にとって魅力的なのは、どんな人をも裁いていないということだ。お金持ちも、周囲にとっては迷惑千万だった貧乏な落ちこぼれの人物も、一様にどこか暖かい眼で見て、観察して描き出している。すばらしい教養があふれる文章であるが、冷たさや硬さとは無縁であり、ほかではなかなか得られない読書体験をもたらしてくれる。
この作家独特の比喩表現は、いくつか散見できたが、「コルシア書店・・・」のほうが、より光っているように思えた。いずれにしても、作者独特の表現方法は、イタリア文学から来るのかもしれないと想い、すこしイタリア文学に興味が出てきた。時が熟すのを待って、ようやく生みおとされた本書は、一見、自伝的エッセイのようにみえて、その実、綿密に練られた構成をもつ小説となっている。的確で無駄のない言葉と、一歩退いた視点。こうした方法で描かれているがゆえに、本書は、感傷的で個人的な海外暮らしの思い出話に終わることなく、普遍的な人間の生を映し出す物語になることに成功した。そしてそれは、我々読者が筆者の失った愛しき人々に対して、むしろより深い愛惜の念を抱くことになる心憎い仕掛けとなっているのである。美しい日本語で書かれた本が読みたい。そんな欲求があった。最近の、感覚的で分かりやすいけど厚みが無く、書き手の哲学が伝わってこないどころか、その存在さえも感じさせないような文章を読むのは、どうしようもない時の暇つぶしにしかならない。読み返す気も起こらないような文章を読むのは時間の無駄だと感じていた。そんな時にこの本に出会った。決して、「文学的な」難しい言葉や表現を並べ立てているわけではない。分かりやすい言葉や文体の中に、情景や著者の思いが鮮やかに浮き上がってくる。惜しまずに時間を掛けて言葉を選び、付け足し、削除し、何度も練り直したであろうことが窺える。イタリアのトリエステという町に立った著者の胸に、それまでに出会った様々な人々が、その時々の思い出が蘇り、感情が湧き起こる。様々な時代に生きた人々の肖像を、著者の目を通じ、フィルターを通じて丹念に描き出していく。語られる一つの情景が決め細やかなひとつの風景として胸に浮かんだ次の瞬間、次の情景の語りが始まる。一見何の関わりもなさそうな、異質とも思えるような新しい風景が、読み手の胸の中に広がっていく。章の一番最後に、この、一見異質に感じられる情景達が、あるテーマで結ばれていることが明かされるのである。美術館の高い天井までの大きな壁一面を占領している一幅の絵に対して、１メートルとない至近距離で立ち、その絵のディテールが、時代背景から、舞台の場所，風景、人物のプロフィールや性格，人間関係、彼らの表情や動作までが細やかに物語られていく。重要なディテールがすべて出そろったところで、はじめて５メートル下がっその絵の全体を見せられる。そんな文章である。
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<title>百日紅 (上) (ちくま文庫)</title>
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<description>北斎を描いた作品。大変よく勉強した跡が伺えて評価できる。また、コマとコマとの間が独自のテンポなのも良い。
各編は短いが再読に耐ええる程の濃度がある。
百年先にも残って欲しい大人の古典作品。 このタイ...</description>
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北斎を描いた作品。大変よく勉強した跡が伺えて評価できる。また、コマとコマとの間が独自のテンポなのも良い。
各編は短いが再読に耐ええる程の濃度がある。
百年先にも残って欲しい大人の古典作品。 このタイトルは、 
「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」（加賀千代女） 
から取られたものだそうです。 

散っても散っても見事に咲いている百日紅。それは、百日間も続くそうです。 
そうした百日紅の凄さ、逞しさに加賀千代女は感嘆し、杉浦日向子は江戸の偉人葛飾北斎を見たのです。 

類稀な才能を持ち、その人物の大きさで、世間をあっと言わせていた北斎。確かに、そこには大物としての凄さを感じます。 

そんな北斎を作者は、周りの人々、中でも娘のお栄とのかかわりあいの中に丁寧に描いてゆきます。 
その表現は、江戸風俗のプロの描く見事な背景の中で、北斎の精神が躍動しています。 
大雑把なようで綿密な北斎の言葉や行動は、その人物の大きさを感じさせます。 

彼女の代表作かも知れません。登場人物すべてに「あぁこれが”粋”ってやつなんだね」と思わせる見せ場があり、
読み進めるうちに、その憧れから作中世界に思わず入っていきたくなってしまう様な傑作。
北斎一門（と居候）を中心に、当時の世相、絵描きの世界を通した人情話、怪談、笑い話と、
何でもござれの大盤振る舞い。
気前のいいエンターテイメントを楽しめる傑作です。
北斎がこんなおっさんだったらほんと楽しいあ。
未完なのが非常に惜しまれます。上村一夫も北斎の漫画を描いているけど、見もしない数世紀を隔てた北斎をより生身に
感じられる点では、こちらに軍配が上がる。

北斎の放埓天才ぶりはさておき、北斎の娘お栄を筆頭に周りまで愛嬌が感じられる点で、
杉浦日向子さんの凄みが押し寄せる。

これを読んだあと、偶然北斎展の目録を古本屋で見つけ、財布と相談するのをおざなりにして、ついつい買ってしまった。

日本画を知らなかった私には、眩しいほどほどその魅力を見せ付けられた本。
（延長線上で河鍋暁斎などの画家も知った）

ジャンルを問わず「北斎もの」は数多いが、この作品は別格で、
これを読んだら誰もが北斎に惚れ直して、
たぶんかなりの確率で同じ様な生き方をしてみたくなるのではないだろうか。
江戸の暮らしも、貧乏も、あるいは人間のしがらみも、これはこれで悪くないと思わせるのは、
やっぱり杉浦さんの人柄が独特の筆致やさりげない話し向きに出ているからなのだろう。

これほどの才能が失われてしまったのは、返す返すも残念でならないが、
どうぞみなさん、ありったけの杉浦日向子作品を耽読して、彼女の世界にどっぷりと浸かってください。
昼間の蕎麦屋で燗酒をちびりとやりながら、ふんわりと味わってください。美味ですよ。
こんな「幸福感」は、ちょっと他では得られません。

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<title>一日江戸人 (新潮文庫)</title>
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<description>タイトルに惹かれて読んだ者としては、必ずしも期待に応えてくれたとは言い難い印象が残った。

というのも、この”一日江戸人”というフレーズはあまりにも魅力を孕みすぎている。

事実、タイトルを払拭して...</description>
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タイトルに惹かれて読んだ者としては、必ずしも期待に応えてくれたとは言い難い印象が残った。

というのも、この”一日江戸人”というフレーズはあまりにも魅力を孕みすぎている。

事実、タイトルを払拭して考えれば、江戸の風俗、江戸人の気立て等々、決してその内容は希薄でない。さらにいえば、着眼点であろう”江戸の世界に浸かる”という方向に対し、ブレの無い記事がテーマ別に続いており、読者の探究心は満たしてくれる代物だろうと思う。

ともかくも、やはり掲げた旗が煌びやかでありすぎたのだろう。

出版側からすれば勲であろうが、読者の中には、本を手にとる前と比べて、読後感に多少気落ちする思いを禁じえなかった方も少なくないのではなかろうか。年配の男性に薦められて読みました。
この一冊でこの密度、本３冊は出せる内容ではないでしょうか。
文庫だからの手軽さはありますが、実際のところもっと大判で再販されたとしたら
さらにお買い得ですよ。
早世されたのを残念に思います。著者の本は今回初めてでした。時代ものって結構言葉も難しいから、読んでいて眠くなってしまう。でもこの本は挿絵も適度に入っていてしかも可愛く、文章も分かりやすい！江戸時代の人がどのように暮らしていたのか、時代劇に出てくる人達ってどんな人だったのか。非常に分かりやすい。江戸時代ってアイデアがいっぱいでステキ。不都合はあるかもしれないけど、こんな時代にも生きてみたかったなぁ〜と思わせる本でした。講釈師は見てきたように、なんとやら、と申します。
まさにこの本の著者、杉浦さんは見てきたように江戸について教えてくれます。
その着眼点が日常的でかつ詳細、ついこの間行って来た、旅行の話を読んでいるようです。

話題も「江戸ではどんな男がカッコイイと言われてるか」とか「どんな賃貸があって、幾らぐらいで生活できそうか」とか「流行の趣味」とかアッチへコッチへ話題が飛びながらもそれがまた面白い。

膨大な量の資料と時代考証の為の勉強をなされているのでしょうが、それがクドクド出てこない事が、むしろ読み物としての完成度を高めていると言えるでしょう。
この方の著書は、そんな引用元など書かなても非常に高いレベルで信頼の置ける情報だと言われていますから安心して楽しんでください。

読み終わるころには、ちょっと行って見るか、って感じになっています。
どこにって・・ 江戸だよ、江戸！

初級編では定番の大奥や義賊、美人・色男の基準、髪型などを取り上げ、その後（混浴）風呂、結婚、食べ物・お酒、相撲など、果てはおまじないや傾奇者の衣装、予言書の話まであり、
取り上げてないものは無いのではないかと思うぐらい中身が詰まっています。
筆者の手書きの絵やメモ書きの部分はかなり小さい文字でちょっと読みにくいところはありますが、おそらくそうしないと収まりきらないのでしょう。

よく、小説家でその場に居合わせたかのような文体で文章を書く作家だ、などと言われる方がいらっしゃいますが、
杉浦さんはその通り実際に江戸に行った、いえ住んでいたんだ！・・・
と錯覚を起こすほどに詳しい描写がされています。
最近よく江戸時代の事も取り上げられていますし、色んな方に読んで頂きたいです。
時代劇を見る時などに参考になる良い作品だと思います。
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<title>禅と日本文化 (岩波新書)</title>
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<description> 日本文化を代表する美術や武士、剣道、儒教、茶道、俳句の背後には「禅思想」という深い川が滔々と流れているということを、大拙氏は喝破した。本書は氏の深い洞察と地道な研鑚そして堪能な英語を駆使してなった...</description>
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 日本文化を代表する美術や武士、剣道、儒教、茶道、俳句の背後には「禅思想」という深い川が滔々と流れているということを、大拙氏は喝破した。本書は氏の深い洞察と地道な研鑚そして堪能な英語を駆使してなった稀有な書物であることは間違いない。欧米の読者が今なお読んでも決して恥ずかしくない胸を張れる書物である（最近こうした書物がないのは嘆かわしい限り）。また実際出版当時高く評価された。

 単に情緒的、懐古的な日本趣味を海外の知識人受けを狙って書かれたものではなく極めて奥深い禅研究書となっており、人口に膾炙した軽薄なものではない。私たち現代日本人の背筋が伸び、無知を恥じるところも少なくない。日本語でしかも日本人に禅を伝えるだけでも簡単なことではないのに、それを英語でここまで明晰に思惟しえたことは驚嘆に値する。（意図的に直訳ふうに訳されているのがいいのかもしれない）

 印象的といえばこんなところ。たとえば第四章「禅と剣道」で「無心」という絶対受動の心理状態になったとき、つまり心が惜しみなく他の「力」に身をゆだねるとき、本来の剣道の奥義に達することができるという。無意識という大海の大きな流れに身を任せる意識という小舟よろしく、それを氏は「『無意識に意識すること』」という見事な言い回しで語っている。禅とはこうした、自己意識や知性を限りなく分解・解体してゆくプロセスで見出されていく無意識への回帰であり、創造性の再発見なのだ。第６章「禅と茶道」なかの挿話、剣の覚えもない一茶人が不埒な武士を参ったと言わせる話もやや出来すぎていると思うが、同様に示唆に富んで面白い。

 さらに第七章「禅と俳句」での芭蕉の例の「古池や・・・」を巡って、やはり禅に裏打ちされた解釈が度肝を抜く。古池という無時間性、無意識の触れ得ないし思考不能な地平を水音という触知できる分節化の瞬間に見出すのである。水音による禅的な宇宙的無意識の開闢がこの俳句の深甚な意味だというわけである。
海外で出版された禅についての本を翻訳し、日本で出版したもの。
第一版は1940年。以来70年近く、この本は書店に並んでいる事になる。

元々外国人に読んでもらうための本だった為か、非常に噛み砕いた説明で読みやすく、禅の体系、概要を知りたい人にはとていい本だと感じた。まさに入門書。
また、文章にも説得力があり、作者がいかに熱意を持って、禅と言う文化を海外に伝えようとしているか、一読するだけで伝わってくる。素晴らしい。

禅は究極の経験・体験学問である、といった件があるのだけど、要するに「考えるな、感じるんだ」という事なのだろう。
哲学や現代科学が行うような、論理を用いた証明ではなく、自らの体験を通してこの世界の真理・神秘を知る。
それが禅なのだと、本書は一貫して説いている。

個人的に非常に興味深く読んだところは、茶道・剣道・俳句といった日本の文化と禅の精神との関わりを述べている章である。
一流の茶人は小さな庵に何を見るのか。真の剣士は対手とどのような心持で向き合っているか。後世に名を残した俳人達は句の向こうに何を見たのか。
そこにも禅の精神が息づいているのだと、作者は訴える。文章力と相まって、非常に胸に迫るものがあった。

日本の伝統文化や、禅に興味があるという人には、是非手に取ってもらいたい一冊。
オススメです。日本文化の一端（例えば茶道とか剣道とか）を習得されようと努力されている方は必読？と思います。禅が日本文化にどのように浸透しているかを感じることができると思います。ずいぶん前日本の武術をたしなんでいたとき読みました。私は日本文化に全く素養のない１理系の人間に過ぎません。しかし内容は決して難しすぎるということは有りませんでした。 本書は、西田幾多郎の友人の僧・鈴木大拙が、1930年代半ばに英米で講演した内容を元にしている。1940年刊行、1964年改版を経て、2003年に第69刷となっている古典。本書によれば禅とは、一方に「般若（智恵）と大悲（愛・憐情）＝体得・直覚・無心、経験重視（経験の絶対性）、森羅万象との同化（即自）・自然、敬（自己の無価値の自覚）・和、自由、複眼性・全体性・単純性（虚飾の剥奪）、迷わず行動すること（狂）、不完全の美・非均衡性、さび・妙・幽玄、言葉への不信＝一即多・多即一＝無意識、無執着、静居・清貧・孤高・侘び＝根本・本質＝精神・生の優位、形式無視、危機に強い」、他方に「知性＝論理・体系化、経験の相対化・対自・人為・個人主義・対立、拘束、対称性、迷い・論理的袋小路＝二分法＝意識、執着、煩悩、分別＝表層＝技巧・形式重視、危機に弱い」という二分法（これ自体疑わしい分け方だが）を持ち、前者を重視し後者を軽視する思想である。もっとも、「一即多、多即一」という言葉から分るとおり、禅ではこうした二分法的説明自体を「論理に基づく迷妄」と見なすため、上記のようなことは自ら「体得」せねばならず、それができない者は、問答無用で師から叩かれる（師へは絶対服従）。本書ではこうした禅の思想が、日本の美術、武士道、剣道、儒教、茶道、俳句に与えた影響を論じている。しかし私見では、禅の考え方は自己の有限性を無媒介に自然の無限性と結び付けることによって、逆に有限な自己の感覚に無批判に安住する危険性があるように感じられる（論理的反省の軽視）。また、禅の思想は実際には「何でもあり」に近く、具体的な指針を与えるものとは言いにくい。したがって、鍛錬すれば私的な精神の構えとしては役に立つかもしれないが、社会の分析には安易に適用できないことを強調しておきたい。僕は日本文化論自体には興味がなかったが、鈴木が訴えたいのも「日本には禅の精神が宿っている」という自我自賛ではないのだと思う。日本文化を通して「禅」を知らしめること、これが鈴木の本心ではないだろうか。では「禅」とは何か。僕が感じ入ったのは、科学との対比で「禅」を論じている部分である。つまり、物事の仮称である言葉を重視する科学とは反対に、物事の実態である経験を重視するのが禅である、と言う部分である。社会が複雑になればなるほど、経験を経ることなく軽口をたたく機会が増すが、そういう今だからこそ、経験を重視する「禅」から学ぶべきことがあると思う。
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<item rdf:about="http://83-book.bestbook-search.com/detail/14/4480032096.html">
<title>百日紅 (下) (ちくま文庫)</title>
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科白に奥行きがあり、再読してみると新たな発見がある。そこがまた楽しみになる。 
全集に未収録...</description>
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単純な線で描かれてるように見えるが、十分に学習した跡が伺えて納得出来る。江戸の空気も描かれてるようだ。 
科白に奥行きがあり、再読してみると新たな発見がある。そこがまた楽しみになる。 
全集に未収録の二編が収められて嬉しい。 
「野分」がとりわけ好き。 
もっと多くの人が読んで欲しい名作である。 
著者の早逝が惜しまれる。
上巻のつづき──
おそるべき描写力であることは本書にとどまらないが、なおかつ長編としての構成力も見せてくれたのはこれが最初で（残念ながら）最後である。もっと多くのテーマが待っていたのに、実に惜しい。生前すでに「漫画」系については“断筆”する旨の表明があったのは、やはり病のためなのか。
本書は、日本人すべての、しかも「大人のための」座右の書として親しんでほしい。十年ごとに読み返すと、また新しいものが見えてくるはずで、青年も、そしてもちろん老年になっても何度でも楽しめること請け合いだ。 其の十八『酔（すい）』に、酒豪で知られた花魁、滝山と、歌川国直の酒合戦が描かれていますが、これが秀逸。 北斎の居候、池田善次郎から酒合戦の誘いを受けますが、その場では「おいら師匠と禁酒の約束をしてんだ」と断ります。善次郎が去った後、弟弟子の国芳に、「さて芳さんいこうか」。  「どこへ」「滝夜叉（滝山のこと）姫のとこへ。強いられて飲む酒はうまかねえからてめえで行くのさ」「豊国との約束は？」「芳さん大丈夫だキン酒は近い酒と書く奴サ」。  なんとも粋ですねえ。  酒合戦は「アラキ」という、度数の非常に高い蒸留酒で行います。さて、その結果は．．．皆さん読んでみて下さい。そして艶かしくも雅びな江戸の風に当たってきてください。
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<title>須賀敦子全集〈第4巻〉 (河出文庫)</title>
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<item rdf:about="http://83-book.bestbook-search.com/detail/16/4309420575.html">
<title>須賀敦子全集〈第7巻〉どんぐりのたわごと・日記 (河出文庫)</title>
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<title>須賀敦子全集 第6巻 (河出文庫)</title>
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<title>ユルスナールの靴 (河出文庫)</title>
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 マルグリット・ユルスナールの作品と人生に、須賀さん自身の胸中に去来していた様々な思いを重ね合わせてつづられる。いわゆる文学評論ではないが、私的な一方通行の独白というのでもない。おそらく二人のパーソナリティーは全くタイプが異なるとは思うのだが、須賀さんの心情とどこか触れ合う地点でユルスナールの顔も一瞬立ち上る感じがしてくる。そこがまた不思議に魅力的な文章である。
「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。」−冒頭より−。 

 ギリシアを、ヨーロッパを愛しながらも、戦争によりアメリカで生涯を送らざるを得なかったフランスの作家マルグリット・ユルスナール、自らの生きる道を求め、パリ、イタリアに滞在しカトリック左派の活動に力を注いだ須賀敦子。ユルスナールの作品を通して、２人の生涯の断片を集め、端正な文章で丁寧に織り重ねた作品です。 

 『火』から少々面食らいながらも感じた熱情が、ユルスナールの自身から発せられたものであることに、やはり納得です。また漂泊の作家ユルスナールの足跡を追い、木立のなかの神殿でハドリアヌスの姿に思いをはせるシーン皮膚があわ立つ思いがしました。作家の人生を、作家のことが
好きだから、書いているうちに
一冊の本になってしまったような本です。

著者の文章は綺麗で、
自分もこんな文章が書けたらと
羨ましくなります。 須賀敦子さんの全八巻になる著作集を読んでいて、とくに、「ユススナールの靴」は彼女の文章が「ふかさ」を増す一つのきっかけになっていることは、堀江敏幸さんが追悼本でお書きなっているように有名な話である。この「ふかさ」への探求とは、「ヴェネツィアの宿」のなかで、
 「どうすればこの本は深いとか深くないとかわかるのですか」
 とシスターにたずねるくだりにあるように、須賀敦子は本を読むこと、作家の紡ぎだす世界を探求するのに貪欲な人だった。それは、彼女が創作の世界にはいるまでの過程で、ギンズブルクの「ある家族の会話」、「マンゾーニ家の人々」で魅せる、あのふっくらとした手でさすってもらっているような柔らかい文章で描かれた、ナタリアの世界をなぞらえていった作品群、「ミラノ霧の風景」あるいは「トリエステの坂道」にあるものに共通しているが、ヨーロッパの北の暗闇にも通じるようなユルスナールの作品を追ってゆくような作業のなかで、創られたこの作品は「ふかさ」の彼女なりの到達点であったのではあるまいか、そんなふうに、読んでゆけば、この評伝から以降の文章は彼女の白鳥の歌といってもよい。 
フランス人作家のマルグリット・ユルスナールの人生に
須賀敦子さんが思いを織り込んだ本です。
二人の人生の歩みは、表向きだいぶちがうけれど
思いのかさなる部分があって、私自身も共感をおぼえました。

須賀さんの深い教養に裏打ちされた、作家への寄り添いというか
その作品と人生を、自身の生きた言葉でやさしく撫でていくアプローチは
この本をとても愛しいものにしていると思います。

かるいエッセイや、ストーリー重視の娯楽ものもいいけれど
やわらかな陽射しのもとで風を感じつつ、この本を読むと
時代も国籍もこえて、世界の奥深さとすばらしさを感じます。

長期休暇におすすめです。
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<item rdf:about="http://83-book.bestbook-search.com/detail/19/4309420559.html">
<title>須賀敦子全集〈第5巻〉イタリアの詩人たち、ウンベルト・サバ詩集ほか (河出文庫)</title>
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<title>百物語 (新潮文庫)</title>
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<description>この本のハードカバーを持っていますが・・・
読後に怪異に逢いました。
柔らかな語り口なので怖さはそれほどでもありませんが、
後からじわじわくるものがあります。
ぜひあなたの本棚に入れてください。
た...</description>
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この本のハードカバーを持っていますが・・・
読後に怪異に逢いました。
柔らかな語り口なので怖さはそれほどでもありませんが、
後からじわじわくるものがあります。
ぜひあなたの本棚に入れてください。
たまに、思い出したように読むにはとてもいい本ですよ。
マンガの域を超えてます。世に百物語は数あれど、その白眉がこの短編漫画集である。
漫画と侮ってはいけない。
杉浦日向子氏の漫画はどれも小説さながらの叙情をたたえ、我々にその時代の空気を清々と感じさせてくれる。我々がかつて確かに知っていて、そして今はもう失ってしまった心の在り方すべてを、その絵を、言葉を、物語を通してもう一度取り戻してれる。
杉浦版『百物語』に出てくる『恐怖』の正体は、卑小な人間の暗い感情でも歪んだ怨念でもなく、人間の理解を超越し、人間の歴史と関係なくそこにあった超自然のものたちである。
ずっと昔から人間のすぐ傍にいて、時に人の目に触れたり、障りを起こすために『怪異』として畏れられてはいたが、人間自身もそれらが悪意を持たぬ純粋な存在であることは肌で感じていたに違いない。だからこそ当時の人たちはそれらを『駆逐すべき敵』ではなく、『共存すべき隣人』として受け入れ、そのためのルールを長い時間をかけて構築していったのだ。
当時の日本人にとっては、『死』すら日常の片隅に常にある自然の摂理の一つであり、決して忌むべき異常事態ではない。もはや異界の住人である亡霊に、悪意や怨念など世俗的な人間の感情を当て嵌めるような不自然な事もしない。
そう、怪異も亡霊も本来は常にあるがままであり、その存在は受け取る側の心のあり方を映し出す。人間が人間社会しか見なくなった時、我々は『怪異』を失ってしまったのではないだろうか。
これは日本人の心の底を映し出して見せてくれる、ほのかに怖くて、そしてとても美しい物語である。 地元の喫茶店で知り合った方から頂いて本書を読んだ。杉浦日向子は アラーキーとの共著の写真集を買ったことで知っていたが 本を読んだのは初めてだった。自分で選ぶだけでは読む本が偏るということを痛感した。それほど面白かったからだ。

 柳田國男の「遠野物語」を読んだ際にも思ったが かつて ごく普通に妖怪が居た時代があったのだと思う。この場合の「妖怪」とは 何かを説明する際の「論理」でもある。

 繁栄していた家が急に没落したときには 人々は座敷わらしが出て行ったからだと説明し そう理解する。
 急に居なくなった娘は 馬に嫁いで 山の彼方に行ってしまったと 誰かが語り そう理解する。

 このように 日頃の論理で何か説明が難しい事が生れた時に 妖怪が登場し 人々はそれで納得する。納得できないことがあることは 誰にとっても気持ち悪いからだ。

 杉浦の語る 淡々とした怪談には そんな「自然さ」に満ちている。それが 怪異譚を聞かされながらも どこか懐かしい思いにさせるのだと思う。

 杉浦は４６歳という若さで 冥途へ渡ってしまった。この本を読みながら最後に思ったのはそんな喪失感である。あの世でも 彼女は妖怪を描いているような気がしてならない。ちょっと前に「新・耳袋」とかがはやりましたが、あれが好きな人は絶対気に入ると思いますね。
（そもも本家「耳袋」自体この「百物語」のソースの一つになっているし）
  「こういう不思議な話があってさーでさー怖かったんだよねー」
  「ふーん」
で終わっている話がほとんどで、オチの無い回も多いんですが、
これが不思議と後を引き、なぜか何度も読み返してしまいます。
（よくよく読み返すと、巧妙なオチが実はあったりしたりもするので油断できません）

そして、こういう不思議な構成だけでなく、
杉浦さんの持つ豊かな江戸情緒の絵の世界が、この「百物語」という作品を
全体的にやさしい雰囲気で統一しており、非常に上品な読み心地となっております。
（絵のタッチや画材をコロコロ変えているにもかかわらず、これは不変なのがまた不思議）

あまり気負わず、時間のあるときにふらっと自然体で読む本だと思います。分厚い文庫本で、過去には三分冊だったものを一冊にまとめたもの。おやっ見違えかな、と思って素通りしてしまう、そのときが、実は本当に不可思議なものを垣間見た時だったのだ、というのが、物語の多くに出てくるケース。身近なところに不思議や怖いものがある。でも女性の作家らしく、いとおしい可愛らしさや美しさが同居する話も。自分の身辺にも怖さがあるのかと思うとひやりとする。やさしくて、なつかしくて、しずかで、少し怖くて不思議な一冊。読んでとても良かったと思った。
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